DDRダイエット改!(直球ストレート(笑))

DDRとステッパーとブルワーカーでダイエット中(笑)。でも中身はだらだら日記メイン。
本サイトが別にあります(つまりここは日記とデータ置き場として利用してます)。DDRダイエットネタの他に富士登山ネタとかも書いてますので、興味がありましたら右下の本サイトへのリンクもどうぞ。
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 上が普通のハードタイプ、下がソフトタイプ。ソフトタイプの負荷はかなり軽いので、ほんとに非力な人向け。通常はハードタイプを選んだ方がいいと思う。ハードタイプはX5からXOにモデルチェンジが行われた。
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TSUNAMIドリルのドリルは教訓という意味でもちろん工具ではない!w
 今日で東日本大震災から11年だ。例年だと震災伝承館とかに行ったり、また今年から地元以外のその手の施設に行こうかと思っていたけど、時間がなくて行けていない。思いを忘れないためにも、暖かくなってからでいいから行かないとなあ。震災の記憶や教訓を風化させないためには、やはりその手の施設に行くのが一番だし。

 震災の記憶や教訓をといえば、一つ嬉しい・・・というのは語弊があるけど、知った時素晴らしいと感じたニュースが最近あった。

 今年の1月15日、トンガの近くの火山が大噴火し、それに伴って大きな津波が発生したよね。日本でも意外な高さの津波が来て大騒ぎとなった。
 その時火山に近いトンガの様子が不明となり、更に海底ケーブルも途絶したため暫く現地の様子が入ってこなかった。新型コロナの影響でトンガが新規入国者を規制していたからってのもある。

 幸い海底ケーブルは先月くらいに復旧しており、現地の情報も発信されるようになった。それによると当初犠牲者は3人と伝えられ、後から更に増えるだろうと思われていたけど、なんと3人で済んだそうだ。
 なぜなら、トンガでは東日本大震災の教訓で作られた『津波ドリル(TSUNAMIドリル)』という避難プログラム(ドリルは算数ドリルとかのドリルね)を元に定期的に避難訓練が行われ、高台に向かう小道も作られていたそうだ。
 そして噴火当日、防災無線は鳴らなかったけど(地震じゃないので、津波が発生するかどうか予測が困難だった。だから日本では遅れて警報が出たわけ)、皆が自主的に避難をし、最高15メートルの津波が押し寄せたのにもかかわらず、この奇跡的な犠牲者の少なさに繋がったそうだ。

 つまり東日本大震災で犠牲になった方々の教訓が立派に生きたのだ。こんなに素晴らしいニュースなのに、ロシア関係のニュースのせいでほとんど報道されないのが本当に歯がゆい。テレ朝系列で少し取り上げられただけだし。もっと日本人は知るべきニュースだし、当然訓練の有効さを再認識するべき事例だと思う。






一番大事なのは記憶ではない。思いだと思う。
 今日はあの日からついに10年になる。10年前、津波の爪痕を撮影しながら思った。『10年後はどうなってるだろうなあ?。でも10年なんてあっという間に過ぎるんだろうな』と。
 そして実際、10年はあっという間に過ぎていった。今年は節目の年ということで、ここ数年は減っていた関連番組も多く放送され、あの時を思い出す事も多くなったけど、自分の中であの時の気持ちを忘れずに持ち続けていれているのかな?と思うことはある。果たして10年後も同じような気持ちで居られるだろうか?。
 まあ大事なのは震災の記憶自体ではなく、得られた教訓を決して風化させないことだと思うけどね。亡くなった方々の命を無駄にしてはならない。

 さて、10年目なので10年前と今の比較写真を並べて今日の記事は終わりにしたいと思う。まあ元の写真が限られているので、どうしても前にやったのと同じ感じになってるけど(^^;)。















宮城県の自転車道が復活・・・してる?
 震災から今日で9年。仕事が変わってからですら4年経過してるわけで、やはり時間が経つのはあっという間だ。
 毎年写真などを上げてたりするけど、今年は撮りに行ってる暇がなかったので、その系のネタはない(^^;)。まあ今週末撮りに行くとは思うけどね。

 9年経過によって、風化の危惧がいよいよ現実的になってきたけど、私は教訓さえ忘れなければいいと思っている。私が得た教訓は『恩を仇で返すような人にはならない』と『他人を思いやる気持ちを忘れない』だな(もちろん防災道具等のハード面の細々とした教訓も有るけどね)。

 恩を仇で返すような人にはならない、まあ当たり前のことだ。支援に来てくれた全国各地の様々な組織、そういった所に迷惑をかけるような馬鹿なことはしない。とても漠然とした教訓だけど(^^;)。

 そして人を思いやる気持ちを忘れない、これだけは忘れないようにしたい。トイレットペーパー買い占めで非常にガッカリしたのは、皆がこれを忘れているって事が実感できてしまったからだ。
 震災二日目、自転車で巡った際に行列のコンビニに入って買い物をすることが出来たけど、その時はすぐに食べられるもの(カップ麺などは当然もう無かったので、お菓子類)は、家を失った人等の為にあえて買わなかった。そうでなくても私の後から入る、同じ様に長時間並んでから入る人に少しでも回るようにという配慮。
 この気持は絶対に忘れないようにし、老人になった時に私もあのような醜態を晒すような事をしないようにしなければならない。

 とまあ臭いことを書いてしまったので、普通のネタでももう一つ(^^;)。

 今朝ほど閖上地区の空からの映像がニュースで流れてて、自転車道が復活してるっぽい事に気がついた。そしてグーグルマップで見てみると・・・しっかり復活してる箇所がある!(^^)。こんな使いみちがない県道(自転車道は県道扱い)、そのまま廃棄されると思ってたのに・・・。
 これは震災後初の、この辺りのサイクリングに行ってみるのもいいな(^^)。まあもちろん全部通れるとは思えないから、適当な所で折り返したりとかになると思うけど、しっかり足を作って行ってみることにしよう(^^)。
ポジティブ要素だらけの震災復興番組というのがあっても・・・
 今日で震災から8年。今日は職場で黙祷を行った。毎年同じ事書いてるけど、もう8年かー。果たしてどれ位の人達が、あの時感じた諸々を維持できているんだろうなあ。忘れないってことがいかに難しいのかを最近感じる。いや、ボケてきたわけじゃないよ?(^^;)。

 そういえばどこかの復興企業の社長がインタビューに答えていて、取材の求める被災地像とのズレが酷くなってきたので、取材や依頼を断ることが多くなってきたって言ってたね。今でも悲劇がうんぬん〜という番組内容に合ってる人居ませんか?といった依頼が多いとか。特にTVが、震災をネタの一つとして考える所が多くなってきたのではないだろうか?という感じだった。

 確かに忘れてはいけない出来事だけど、忘れて欲しくないのはそういう所じゃないよね・・・。また、色々目に見える復興とかもあるのに、地味だからとあまり取り上げてくれないのも悲しい。例えば毎年八幡神社からの眺めを載せていて、一見すると全然変わってないように見えるけど、実際はちゃんと変わって行ってる。つーか、何か道路が一つ新しくなったり、嵩上げ後の土地に新しく家が建っていたり等でも、前向きな変化として嬉しいのだ。そういう着実な復興についてももっと取り上げて欲しいんだなあ。まあそればっかりやられると、もう全部終わったのかと思われてしまう可能性が高いけど(^^;)。

 あと去年も同じ事書いたけど・・・いい加減被災地沿岸のグーグルストリートビューのデータ直せ!(^^;)。簡易土嚢が並べられた砂利道とか、現状とは完璧に乖離した情景のままなのだ(^^;)。






いい加減沿岸被災地のグーグルストリートビュー更新してくれ(^^;)
 震災から7年。震災直後に予想したとおり、やはりあっという間の7年間だったなあ。ただ、復興は確実に実感するようになってきてるけどね。なんと言っても一番大きいのは、嵩上げされて覆われて痕跡が見えなくなったからだろう。全く新しい道路に全く新しい建物となれば、もはや別の土地だからね。

 だからこそ、特に今年の震災関連の話題は、震災の記憶の風化が問題になっていた。確かに私も、今の時期は太陽の日差しとこの時期ならではの枯れきった土手の草、そして空気の匂いからあの時を連想していたんだけど、それが薄れてきてる気がする。ブログに記録は残してあるからまだまだ大丈夫だけど、そもそも他の人が読んだって伝わる物ではない。いかに伝え続けるのかが難しいかが、よく分かる。もちろん決して忘れるつもりは無いけどね。

 さて今年は、毎年行ってる片浜の八幡神社の高台へ行った。







 写真だといまいち伝わりにくいが、この辺りもかなり変わってきていた。松岩駅の遺構とか完全になくなり、代わりにBRTの専用道路が工事中だ。面瀬川の河口は高い堤防により、全くあの時の面影が無くなっている。遠くには去年の4月にかけられた、大島架橋のアーチも見える。



 そして確か去年設置された慰霊碑には、今日が311だから献花台が設置されていた。花も用意してあったので、一本備えて手を合わせる。犠牲者の名簿を見ると、海から少し離れた地区で小さい子供が犠牲になっていたのが読み取れる。まさかここまで来るとは・・・というパターンだったんだろうなあ。



 その後、家の近くの中学校へ。ここは震災翌日に避難所へ毛布とマスクの差し入れで来た場所だ。不安げな人々、真っ暗でざわつく体育館、入れられないから外に繋がれた犬等々を思い出す。



 そして校庭は、ついこの間仮設住宅が撤去され、今はグラウンドに戻している最中だった。ここも当時は避難してきた車が沢山停まってたっけ・・・そこから仮設が設置され、こんなに時間が経つとはなあ。向こうには当時は無かった三陸道の道路が完成間近で見えている。

 とまあ、このようにちゃんと復興は進んでいるかなーとう感じ。全くの余談だけど、グーグルストリートビューで地元を見ると、いつまで経っても被災後1~2年くらいの映像のままなのはどーなのよ(^^;)。全く更新されないんだよなあ。またグーグルカー見つけたら、追いかけて映り込むようにしたいのに(笑)。
復興の実感はやっぱ目に見えないと感じられないものだろう
 本日で震災から6年。震災直後にあっという間に過ぎていくんだろうなーと書いたけど、まさにその通りであっという間の6年だったね。

 今日は職場では皆で作業を中断して外に出て、黙祷を行った。前の職場だとサービス業だから黙祷とか出来なかったのだ(一応手が空いていればやるとか言われてたけど、そんな暇は無かった^^;)。
 で、他の働いてる人達は皆地元なので、あの当時あれこれだったと会話してるのを耳にするのが、感慨深かった。またやはり、ここで流れるサイレンはあの時深夜まで鳴り響いていたのと同じなので、トラウマだなーと実感。

 で、まあ・・・6年も経つと、さすがにあんまり書くことがない(^^;)。地元だと復興住宅もかなり建ってきて、うちの近所の大規模移転地区も完成し、いきなり団地が出現した(皆一斉に建てたので、まさに雨後の竹の子状態)。市内も毎日通勤で走っていると、少しづつ変わって行ってるのがわかり、復興が進んでいる事を実感できている部分は結構ある。

 もちろん報道で言われてるように、まだまだ大変なんだけどね(^^;)。一段落付いたと実感できるのはいつの日やら。とりあえず早く仮設が完全に解消されますよーに。

 というわけで、あとは比較画像をどうぞ(^^;)。












 川はこのように、高い堤防で囲まれるようになった。
震災の記憶の風化を防ぐ方法は…トラウマを利用するべき?
 昨日は適当な記事でお茶を濁したけど、今日は真面目に震災について書く(^^;)。

 いや〜昨夜NHKで放送された特番「私を襲った津波〜その時 何が起きたのか〜」は凄かった。津波がどういう動きを行ったかシミュレーションしたものだったんだけど、それと同時に巻き込まれた人がどう流されていったかを、実際の町の建物モデルを元に映像で再現した物が流された。釜石で女性を助けようとした自衛官の方が、流されていってどこではぐれたかや、体育館に入ってきた水が渦を巻いて人々を飲み込み、ステージ上に避難していた姉妹があがいてステージ暗幕にすがってなんとか助かったり等々。

 スパコンの性能をフルに使って、実写と見まごうかのようにリアルに作られている部分も有り、人のCGモデルなんてリアルすぎたのか、すぐにシルエットに差し替わってしまうほどリアルに作られていた(これ、絶対に全部シルエット無しで作ってるよね^^;)。流されて突っ込んでくるラパンなんて、最初本物かと思ったし(^^;)。

 確実にトラウマレベルであり・・・これこそが私が作って欲しかった映像だ。

 震災の記憶の風化が懸念されており、実際私もかなり風化気味(^^;)。復興工事が進み、被災前の風景を感じさせるような場所(被災前の状態を知っていて、そのギャップを感じさせるような場所)が少なくなったというのが大きいかな。あと雑草に被われて只の荒れ野にしか見えないところも多いし。

 しかしやはり記憶を思い起こさせてくれるのはやはり映像資料が一番だ。その点今回の映像は、既存の映像を元に作られおり、CGだからアングル替え放題で津波の恐怖をまざまざと伝えてくれる映像に仕上がっている。

 そして、殆どの人は当時ニュースで感じた津波災害への強い恐怖を、これを見れば思い出してくれるんじゃないかな?。つまり、トラウマを刺激してくれるだろう(^^;)。そうやって忘れないで居てくれれば、次に日本のどこかで同じ事が起きた時に思い出してくれる・・・といいんだけどなあ(^^;)。

 まあとにかく、震災前に完全にネタでこのブログに書いていた「トラウマになるようなレベルの映像で、防災意識を植え付けよう」というのに、まさにぴったり(笑)。

 つーかこれ、予想される南海トラフ地震の防災用に、新規でどんどん映像を作ってくれないかな?。今回みたいに人が呑まれるところとかまで凝らなくていいから、実際の建物を元に並がどれ位まで来るか、どれ位のスピードで押し寄せてくるか等をCG化して、その地域に配るのよ。そうすればいざという時に今居る場所がヤバイかどうか判断して、避難してくれるんじゃないかな?。

 もちろん建物は出来るだけ実際の建物かつ皆が知ってる所で。まあお店とかだと地価とかに影響とか出てしまうと反対されるかも知れないから、役場とかで?(^^;)。

 最後に余談。津波映像の新規DVDとかは出なくなって久しいが(最後に買ったやつは、手抜き過ぎだったなあ^^;)、大体はネットで見られるようになっている。オススメはFNNのとNHKのかな(フジの震災時の報道部のヘルメットでお祭り騒ぎは、今でも許さないけど^^;)。
 特にNHKのは震災5年特集ということで、地震発生時から72時間のニュース映像を時系列に並べるというのをやっている。私がカーナビのテレビで目撃した、タンカーが防波堤に衝突したりフェリーが湾内に突っ込んでくる部分もしっかり見ることが出来た。これ、このまんまTV番組にして流した方がいいんじゃね?(^^;)。

 あと番組の動画は、ググるとなんかネット上にアップされていたけど・・・明らかに違法アップロードなのでリンクは貼りません(^^;)。ちなみに再放送は2016年3月15日(火)午前0時10分から。



5年で被災地復興したらそりゃびっくりだよ!(^^;)。
 震災5年目だ。今日家に帰る途中ふと中心部の方を見たら、夜空に3本の光の柱が立っていた。『3月11日からのヒカリ』という、鎮魂を込めた光の慰霊碑を気仙沼湾内に3本立ち上げるというイベントだ。


(星空を取れるモードで撮ったけど、それでも暗い^^;)

 まあイベントと言ってもどこかに人が集まって・・・というタイプではなく、この光を各々が思いをはせるというイベント。家に着いてからも裏山越しに見え・・・思い出すなあ。当時やっと家にたどり着いたら、まさにこの方向の空が、真っ赤になっていたことを。

 さて5年目となり、特番では復興状況が送れているとかいう意見が多いと報道されて居たけど、個人的にはまあこんなもんじゃね?、と思う。
 だって本格的に工事が始まったと実感できたのって、2年前くらいからだよ?。むしろかなり頑張ってると言っていいと思うんだけど(^^;)。片浜の八幡神社から見える光景も、堤防工事が結構進んできているのが判る(終わりはいつになるのか知らないが^^;)。この間友人と車の練習をした商港岸壁エリアだって、嵩上げがかなり進み、工場も次々に建っているのが実感できたし。

 そもそも、今まであった町だって戦後何十年をかけてコツコツと出来上がって形になっていったものなんだから、再び作り上げるには当然時間もかかるだろう。

 ちなみに、ギリギリまで来たとはいえ津波が到達せず、親類にも犠牲者とか出なかったうちだけど・・・道路供用で土地をばっさり削られるという形で、震災に関わる事になった(^^;)。傍から見たら土地が売れてウハウハと思うかも知れないけど、家に近い所に幹線道路が通っても全く嬉しくねえ(笑)。騒音も増えるし、トラが事故に遭わないかどうかが心配になるし・・・。

 さてあとは、八幡神社から見える写真でお茶を濁す(^^;)。あと明日も震災ネタで行くかな?。
 





保存方法しっかり考えないと、向洋高校の壁にスプレーで落書きの被害が必ず出るぞ…
 今日で震災から4年。まあ復興がそれなりに進み、魚市場周辺にも再建された工場や倉庫が建ち始め、市内あちこちの復興住宅が出来上がってきたり土台造成工事中だったりといった感じで・・・ぶっちゃけ特に新しく書くことが無い(^^;)。
 もう完全に『震災後』に慣れちゃったんだなーというのを実感する。復興もが本格的に始まって、めまぐるしく変わっているからというのもあるかな。もちろん、あの時の思いは風化してないけどね。たまにDVDや記録集見たりするし。



 被災地でこんな有様だから、全国規模ではどんだけ記憶が薄れていることか(^^;)。だからこそ『震災遺構』の保存が叫ばれてるわけだ。まあこんなモニュメント一つで伝わる訳がないけど、無いよりは有った方がずっといいわけで。やはり特に犠牲者が出た施設は、グッとくるものがかなりあるし。

 まあ私としては最も適しているのは、前にも書いたとおり遺構と映像の組み合わせだと思うけどね。今回の震災では多数の映像が残ったわけだけど、その映像と同じ地点に、同じ映像を見ることが出来る施設を作る。そうすればいかに凄まじい津波が来たのか、追体験して貰えるのは簡単だ。まあ大抵の鮮明な映像はTV局絡みで、版権とかあったりしてしまうんだけどねー(^^;)。

 ちなみに地元気仙沼の震災遺構候補というと、2年前に打ち上げられた漁船を遺構にするかどうかで揉めたことがある(→http://ddrdiet.jugem.jp/?eid=2402)。まあ結局それは市長側が住民投票までおこなって保存しようとしたけど、その住民側が反対意見多数となってとどめを刺し、この船は解体撤去された。
 で、その替わりとして候補に挙がっているのが『向洋高校』の校舎。ここは震災後暫く震災廃棄物処理プラントが置かれていた関係で、手つかずのまま残っているのだ。









 というわけで、撮ってきた写真です。元々とても低い土地だったので、満潮時には土台の縁ギリギリまで水が来るのが特徴の場所(^^;)。
 見ての通り、突っ込んだ車などがそのまんま残され、丈夫なはずの校舎の壁が取れかかっていたり等、津波の脅威を伝えるなら充分な遺構だ。生徒の避難誘導がしっかりしていたおかげで、犠牲者が出なかったというのも大きなポイントだし。
 でもこれ、どう保存しよう・・・下手にフリーに出入りできるようにすると、確実に数年後にスプレーで落書きする馬鹿が出てくるぞ(^^;)。壁で取り囲んで、夜間は勝手に入れないようにするとかしないとダメじゃないかなあ・・・。


この調子(高さ)で防潮堤作ったら、そりゃ大問題になるわ…
 火曜だけど、やはり今日は震災ネタをやるべきだろう。というわけで、ビルドファイターズネタは明後日に回します。


去年の画像

今年の画像

 震災から3年が過ぎた・・・被災地の現状等については、昨日今日TVで流れた映像の通りだ。
 ある程度前進しているところ、全く前進していないところ等様々。理由は去年書いたのと全く同じで、人手不足に業者不足に資材不足に・・・計画自体の話し合いが全く進んでいない為に進んでいない所も多数。復興住宅に遅れについては、こりゃもう山を削って土地を作り出すという行為が、いかにマンパワーが要るかというのをまざまざと見せつけてくれるだけに仕方が無い。アニメとかでいきなり巨大工事を突貫で行うという描写があったりするけど、アレは確実に無理だとわかるわ(^^;)。ホントにコツコツと積み上げていくしか無い。
 まあこの辺は去年も一昨年も同じような事書いたから、今更書くべき点も無いんだけどね(^^;)。

 さて、地元の復興も同様だけど・・・魚市場の方のかさ上げ地区に行ってちょっと衝撃を受けた。





 かさ上げされた土地が想像以上の高さになっており、もはや震災前とは別の場所としか認識できなかった。去年は荒れ野が広がっていても、道路の線形や建物の土台等により震災前の光景を思い出すことが出来たけど・・・見通せないだけでもかなり違うもんだね。

 そしてこういう違和感は、復興や防波堤工事が進んでいくと、どんどん感ることになるんだろうなあ。やはり『ふるさとの光景』は完全に元に戻ることは無いんだろうなーと、ちょっと寂しくなる。もちろん前の通りに戻したら、また中規模程度以上の津波の被害を受けることになるわけだけど(^^;)。

 とりあえず、防潮堤も同じようかもしくはこれ以上の高さで作られる予定であり、実際に完成したとき・・・またゴタゴタと、喧喧諤諤な騒動が起きそうな予感が既に(^^;)。この高さについては一応盛んに議論されているけど、やはり現物を見てみないと高さを実感できない人が殆どだろう。出来上がったはいいけど、なんだコレは!?こうなった責任者は誰だ!?・・・とかなりそう。完成した頃には更に記憶が薄れてるであろう事を考えるとね。

 しかしまあ、限定的とはいえしっかりと復興が進んでいる光景を見れば、明るい気持ちになるもんだ。前を向いて頑張ろう・・・と、いつもにも増して中身が無く終わる(^^;)。